1999年諫早集中豪雨と1957年・1982年豪雨との比較

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1999年7月23日の集中豪雨

 1999年7月23日の諫早集中豪雨では本明川の氾濫がなく,浸水の規模も1957年災害よりはるかに小さくて済みました.なぜ,そうなったのかを判断するには集中豪雨そのものを,過去の例と比較する必要があります.ここでは本明川水系の降水状況や流量を取り上げることにします.

1999年の1時間・3時間・24時間降水量分布図を一部修正いたしました(2000年7月10日)

年月日1999年7月23日1982年7月23日(長崎豪雨)1957年7月25日(諫早水害)
ピーク時1時間
降水量(mm)
ピーク時3時間
降水量(mm)
24時間
降水量(mm)
先行雨量なし2週間前から断続的当日午後から継続的
裏山ピーク
流量(m3/s)
6746981064
裏山最高
水位T.P.(m)
(10分毎観測値) 11.12(1時間毎観測値) 11.6514.4
埋津ピーク
流量(m3/s)
140(減水中の観測値) 229
埋津最高
水位T.P.(m)
(10分毎観測値) 5.95 (1時間毎観測値) 5.76
参考・引用資料速報1999.7.23長崎県諫早
集中豪雨災害
(建設省記者発表資料)
気象庁観測資料(気象庁)
大雨による災害報告
速報No1-26(諫早市)
長崎県・市町等機関観測資料
昭和57年7月長崎豪雨に
よる災害の調査報告書
(長崎大学学術調査団)
本明川管内図(建設省)
速報1999.7.23長崎県諫早
集中豪雨災害
(建設省記者発表資料)
諫早市の豪雨の解析
(大沢綱一郎・尾崎康一)

 1999年7月23日の集中豪雨と比較するため,著名出水として知られる1957年7月25日の諫早豪雨と1982年7月23日の長崎豪雨を取り上げます.諫早市の中心部は図の中央です.破線は調整池の流域です.

全般的特徴

 1957年豪雨では諫早市の北西部から南東部にかけて帯状に広がっています.また1982年豪雨では諫早市の南西部に強雨域があります.これにたいして1999年豪雨の中心は諫早市の北部から西部にかけて帯状に広がっており,南東部の低平地の流域では降水量が少ないのが際立った特徴です.

1時間降水量

 1999年豪雨は初め,北東側から強雨帯がかかり,諫早市北部を通過して,市中心部の西に移動したことがわかります.最も強雨時間が長かったのは市中心部の西側です.
 諫早市中心部から見て上流にあたる市北部の平均的な降水量に着目すると1957年と1999年はだいたい同じであることがわかります.これらは1982年豪雨より大きな値です.ここには図示しませんが9-11時には半造川流域に強雨帯がかかっています.
 流量のピーク時刻が裏山で9時20分,埋津で11時10分ですから,強雨帯の移動によく対応しています.

本明川水系と流量観測所の位置

3時間降水量

 1957年豪雨では諫早湾周囲全体が200mm以上で,諫早市北部では330mmを超えています.1982年豪雨では西側ほど降水量が多く,諫早市内は全域で150mm以上です.これにたいして1999年豪雨では150mm以上の範囲は市中心部付近とその北側に限られています.
 本明川流域に着目すると市中心部の上流(市北部)で1999年豪雨は1957年豪雨の約3分の2,1982年豪雨とほぼ同じです.さらに半造川流域である市南西部で1999年豪雨は1982年豪雨の3分の2,1957年豪雨を少し下回る程度です.  

24時間降水量

 1957年豪雨では諫早湾周辺のほぼ全域で600mmを超え,本明川流域にあたる北西部で700-800mmに達しています.1982年豪雨では400mm以上の範囲が大きく広がり,とくに半造川流域にあたる南西部で500mm以上の部分があります.これにたいして1999年豪雨では諫早市中心部の北側で300mm以上の範囲が広がり,最大で400mm以上です.
 つまり1999年豪雨の24時間降水量は1957年・1982年豪雨に比べ,範囲が狭く,最大降水量も小さかったことがわかります.

流量の比較

 洪水の規模は流量で量るのが妥当です.市中心部の流量を示す裏山の流量を見ると1999年豪雨は1982年豪雨とほぼ同じ,1957年豪雨の3分の2程度です.半造川の流量を示す埋津の流量を見ると1982年の7割以下です.これらの値は3時間降水量を反映していることがわかります.ただし,1999年の場合,集中豪雨の前にまとまった雨がなかったため,豪雨初期に雨水が地中に浸透する余裕があったこと,本明川上流の強雨時間が短かったことを考慮する必要があります.もし,豪雨前に充分雨が降っていれば,1957年に匹敵する出水になったと考えられます(流量のピーク時刻と1時間降水量のピーク時刻がよく対応しているので,1時間雨量の方が流量を決定付ける要因としては大きいと考えられる).

調整池の防災効果の比較基準

 これらを総合すると,1999年豪雨に関して,諫早市中心部への防災効果は1982年豪雨と比較すべきであることがわかります.半造川流域については1982年より豪雨や出水の規模が小さいので,直接比較できません.さらに別の事例を探す必要があります.南東側にある小野・森山などの低平地については豪雨そのものがなかったので検討の対象になりません.


このページを含む<諫早湾と防災>閉鎖保存版は有明海漁民・市民ネットワーク事務局が著作者から全面的な管理を委ねられ、独自に複製・配布・公開しています。著作者は諫早湾の問題からは手を引いており、質問等は受け付けていません。

http://www.fsinet.or.jp/~hoteia 制作・著作 布袋 厚 1999年