諫早湾水質データの謎解き

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水質データの不思議

 有明海で,赤潮の発生や貝のへい死,ノリの不作といった異変が起こっています.この原因として,諫早湾干拓に疑いが懸けられているのは,みなさんご存知のとおりです.

 ところが国は諫早湾の水質について「締め切った前後で,周辺海域の水質において,化学的酸素要求量等に明確な差異が認められない」(中村敦夫参議院議員質問主意書への答弁書・2000年8月8日)と言って,諫早湾干拓との関連を認めません.

 確かに全窒素(T-N),全リン(T-P)をはじめ,ほとんどの水質データに明らかな増減はありません.ところが締め切りを境に大きく変化した項目があるのです(海底泥質データでも潮受け堤防の近くなどに明らかな悪化が見られます).

締め切りにより濁りが減少

 諫早湾の締め切り前後で顕著な変化をしている項目は濁度です.右のグラフは農水省のモニタリング調査結果の一例で,1992年から1999年初めまでの湾口部での変化をまとめたものです.赤線が締め切りの時期をあらわします.締め切り前から堤防工事の進行に伴い,濁度が低下しています.

 濁度の低下は諫早湾の奥と湾口の間で行き来していた潮の流れが堤防により妨げられ,泥が沈みやすくなったのが原因です.

参照  諫早湾潮受堤防工事に伴う濁度の低下

 濁りは一般的には「水質汚濁」という表現でわかるように,悪いこととされています.水門開放(海水導入)をめぐる論争でも,「泥の巻上げで漁場が荒れる」という論理が広く流布され,いろいろな人が影響を受けています.

 しかし,有明海は濁っているのが正常で,清んでいるほうが異常です.

参照 諫早湾締め切りによる影響発生メカニズムの仮説

 実は全窒素や全リンといった項目の数値が変化していなくても,濁度の低下を合わせて考慮すれば,いろいろな異変をうまく説明できることがわかりました.

泥の役割

 有明海の濁りを作っている粘土は,海水中の塩分の働きにより凝集し,ふわふわした綿くずのようなもの=フロックになって,ちょうど味噌汁のような感じで浮遊しています.フロックの表面にはバクテリアが付着し,水中に溶解している窒素やリンといった栄養塩を取り込んで増殖します.また,フロックは水中で栄養塩を取り込んだ植物プランクトンを吸着します.また,粘土鉱物内部にも栄養塩がそのまま取り込まれ,干潟上で珪藻の栄養源となります.

 こうして,水溶液中の栄養塩を取り込んだ微生物を含むフロックは,潮流により干潟や浅海に打ち上げられて,(一部は珪藻を経由して)底生動物に食べられ,栄養塩を取り除かれた泥が糞となって排出されます.この泥は波や潮流の働きで再び海水中に浮遊し,新たな栄養塩を吸着します.ですから,泥の粒子(ここではフロックの意味で使います)は栄養塩を水中から底生動物の体内に運ぶ役割を果たしていることになります.

 なお,本題とは離れますが,粘土鉱物に含まれるアルミニウムイオンが赤潮プランクトンを死滅させることもわかっています.

隠れていた水質変化

 一般的に水質検査で全窒素(T-N)や全リン(T-P)はその名が示すとおり,水の中の全部の窒素・リンの量をみるので,泥に吸着されている窒素やリンもいっしょに測定されます.農水省が「締め切り前後で変化していない」という意味は
(水に溶解した栄養塩)+(泥粒子に吸着された栄養塩)=(全栄養塩)が変化していない
ということです.

 一方,濁度が低下しているということは,水中の泥の粒子が減少し,
(泥粒子に吸着された栄養塩)が減少している

 つまり,
(全栄養塩)-(泥粒子に吸着された栄養塩)=(水に溶解した栄養塩)が増加している
ことを意味します.

 これをまとめると表のようになります.

  締め切り前締め切り後
=泥の粒子
=栄養塩(窒素・燐など)
水の清濁濁った水清んだ水
泥の粒子多い少ない
泥の粒子に吸着された栄養塩
魚介類の栄養源
多い少ない
水に溶解している栄養塩
赤潮プランクトンの栄養源
少ない多い

 こうして水に溶解した栄養塩が増加した結果,植物プランクトンが大発生している(赤潮)と考えられます.ひとたび赤潮が発生すると水中の栄養塩を大量消費するので,水に溶解した形の窒素やリンは減少することになります.

 上の表では,清んだ水の場合,単純に「水に溶解している」という形にしましたが,実際には,泥に吸着されていない赤潮プランクトンを合わせた意味で理解したほうがよいでしょう.

 ここで紹介した考え方は現時点では仮説の段階です.これを裏付けるデータが得られれば,真実となります.

参考資料 代田昭彦(1982)デトリタスと水産との関連,月刊 海洋科学 第14巻 第8号,473-481ページ.


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長崎自然史仮想博物館 制作・著作 布袋 厚 2001年