建設省が諫早市街地付近に設置している水位観測所は裏山と埋津の2箇所ありますが,いずれも市中心部から離れています.しかし工夫しだいで,洪水最中や洪水後に水位を知ることが可能です.ここではそれに適した場所を紹介します.
光江橋 みつえばし諫早市街地の本明川本流でもっとも下流側にある橋です.橋台(橋脚)につけられた水位標を右岸(旭町)側から見ることができます.写真からわかるように水位標は大小2つあり,そのうち左側のものは1cmごとに目盛がついています.この水位標の目盛は東京湾平均海面(T.P.を付けて表わします)を基準につけられています(長崎自然史仮想博物館の水準測量により確認). |
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橋台の最下部が茶色に汚れています.これは大潮満潮時に泥を含んだ海水がさかのぼっていた跡です.汚れの上端の高さはT.P.+2.3m程度です.これを見ると,いかにも洪水と満潮が重なると水位が重なり合って高くなりそうな感じがします(これを巧みに利用したのが「諫早湾干拓の防災効果」の宣伝です)が,きちんとした検証をやるとそうではないことがわかりました. | |
旭町第二樋管光江橋の50mほど上流の右岸にあります.ここは洪水痕跡が残りやすく,写真でも左奥のコンクリート柱に痕跡が見えます.これは1999年6月29日の大雨当日に撮影したもので,まだ水に濡れています.注意して見るとコンクリート面にごみがたくさん付着しているのがわかります.
左奥のコンクリート柱の根元の標高はT.P.+3.792m(手前のかどの部分)です.そこから痕跡までの高さは 72.5cmだったので,痕跡の標高は (標高は長崎自然史仮想博物館の水準測量による) | |
本町第三樋管
旭町第二樋管の205m上流(諫早橋の50mほど上流)の右岸にあります.実物を見ると赤色の“M”の文字が3つついています.それぞれの“M”のすぐ下に赤い横線がひいてあり,その標高は上から順に6.059m,5.059m,4.059mです(1cmごとにつけられている目盛の基準の標高として考えてください).1999年6月29日の大雨による洪水痕跡は中央のMの10cm下にあったのでの標高は (標高は長崎自然史仮想博物館の水準測量による) |
本町第三樋管と旭町第二樋管との2点間の
(水位差)=(本町水位)-(旭町水位)=4.96-4.52=0.44(m)ですから,
(水面勾配)=(水位差)÷(2点間距離)=0.44÷205=0.00215 となります.また,詳しい計算は省略しますが,建設省の測量による距離標4km100地点の横断面図(河床は時とともに変化しているので厳密には横断面図と一致しない)から,このときの
(流積)=154.7(m2),
(潤辺)=60.96(m)と求められるので,
(径深)=(流積)÷(潤辺)=154.7÷60.96=2.54(m)となります.さらに,このあたりでは
(粗度係数)=0.033(1999年7月23日の洪水時のデータにより算出)なのでマニングの公式から
(流速)=(径深)^(2/3)×(水面勾配)^(1/2)/(粗度係数)=2.54^(2/3)×0.00215^(1/2)/0.033=2.61(m/s)となります.したがって,
(流量)=(流速)×(流積)=2.61×154.7=404(m3/s)となります.つまり毎秒約400トンということです.
このように,洪水痕跡が2箇所見つかれば,概略の数字とはいえ最大流量を見積もることが可能です.
このページを含む<諫早湾と防災>閉鎖保存版は有明海漁民・市民ネットワーク事務局が著作者から全面的な管理を委ねられ、独自に複製・配布・公開しています。著作者は諫早湾の問題からは手を引いており、質問等は受け付けていません。
http://www.fsinet.or.jp/~hoteia 制作・著作 布袋 厚 1999年