<重要資料>

諫早湾防災対策検討委員会中間報告書(抜粋)http://nonki.cside5.com/
isahaya/nousui/tyu-kan.html

のサイトにホームページ主宰者の評とともに掲載されたものをPDF化したもの。

洪水排水計画(1997.3九州農政局諌早湾干拓事務所)

・平成13年度諫早湾干拓事業調整池水理その他検討業務報告書(2002.3) その1 その2 その3

・平成15年度諫早湾干拓事業背後地排水その他検討業務報告書(2004.3、九州農政局・内外エンジニアリング株式会社)  その1 その2 その3 その4  潮遊水路図 排水樋門位置図

本明川水系河川整備計画
 (2005年3月 国交省九州地方整備局・長崎県)

・有明海漁民・市民ネットワークほか『市民による諫早干拓「時のアセス」2006』 菅波論文・羽生論文

・宇野木ほか 論文「複式干拓方式の沿岸防災機能」(日本海洋学会誌「海の研究」2008年第8号)

・ 防災を謳った諫干で、なぜ湛水被害が増加したかを解説した「開門を機に森山地区の排水対策の実施を」(09年7月拙稿)

2010年5月23日の湛水被害前に管理事務所が作成していた排水計画

排水門操作実績データ(2010年10月増補版)エクセルデータダウンロード
 同データ原本(PDF)

潮受堤防中央排水施設日運転時間(H20/4/1〜H22/8/31)

 防災効果

 
森山地区の湛水(09/6/30)

1.お題目としての防災−実は農水省干拓技官の失業対策−

 本件事業に先立つ長崎大干拓計画(1952〜1970)は水田の造成を目的にされていたが、有明海漁業者の反対と米余りによる開田抑制策への国の政策変更により中止に追い込まれた。しかしなぜか長崎県の、「諌早で干拓を行いたい」という意欲は衰えることなく、今度は畑地と水資源確保に目的を変えての長崎県南部総合開発計画(1970〜1982)が進められることになった。この南総は湾内漁業者の同意はほぼ取り付けるまでに至っていたものの、調整池水は飲料水に適さないという京大研究者の指摘(学者として諫干推進の先頭に立ってきた戸原義男九大教授は飲料水に適するという論文を発表したのだが)や有明海の漁業者達の猛烈な反対運動の前に、時の金子岩三農相(金子原二郎長崎県知事の父)は、ついに事業計画を断念した。その直後の様子について、山下弘文著『ムツゴロウ騒動記』は次のように記述している。
 中止を決定したとき、時の構造改善局長が金子大臣を訪ね、農水省が抱える約八百人の干拓技術者に何とか仕事を与えてほしいと要望しましたが、金子大臣は「農水省の失業対策だね」と苦々しく語ったといわれています。金子大臣は、規模を大幅に縮小したものの、この要望を受けて水害対策を中心とした開発計画に切り替えました。金子大臣の考え方は、従来の地先干拓の推進と、既存堤防のかさ上げによる防災対策でした。締め切り面積も三千ヘクタール程度と考えていたそうです。(p.48)
 こうして現在の諫早湾干拓事業が始まったわけであるが、しかし実際に設計されたのは、金子大臣の考えた地先干拓ではなく、長崎大干拓や南総と同様の複式干拓だった。農水省官僚は、諫干に先行していた八郎潟干拓や児島湾干拓での複式干拓では、必ず調整池水質が悪化するという教訓を生かさないまま、複式干拓に固執したのだ。地先干拓なら自治体でもできるし、国・農水省がやるからには大規模複式干拓で、干拓技官の技術力を見せつけなければメンツが保てないとでも考えたのであろう。しかも当局は、既存堤防の改修を怠って老朽化するに任せ、クリークや澪筋に堆積するガタ土の機械による除去も怠って住民自身に澪筋確保作業を強い、既設樋門の操作も自動化せずに住民に手動管理を強いてきたから、防災上の不安や重労働に耐えかねた地元住民は、仕方なく「防災干拓」に期待をつなぐほかない立場に立たされてしまったのである。

2.背後地防災効果があるのは閉め切り面積6000ヘクタール以上

 農水省は、83年5月に「諫早湾防災対策検討委員会」(委員11名で委員長は角谷睦京都大学防災研究所教授)を組織したが、その設置要領では「複式干拓による防災対策を検討する」ことが委員会の目的と明記され、金子大臣が想定した地先干拓や既存堤防かさ上げ案は官僚の手によって巧妙に最初から排除されている。この委員会は7ヶ月の検討後、「中間報告書」をまとめたが、そこでは閉め切り規模と築堤上の検討が加えられただけである。つまり背後地湛水対策が干拓防災の目的と考えられ、洪水対策としての検討は最初から放棄されている。調整池という言わば河口ダムで河川洪水が防げるはずもないのだから、防災専門家としては当然の扱いであろう。そして報告書では、この複式干拓による湛水防災効果を発揮させるには6000ヘクタール以上の閉め切り規模が必要であり、それ以下では様々な防災上の問題が生ずることが指摘されている。しかし農水省から主に諮問されたのは、技術的にどこまで閉め切り規模を縮小できるかという課題だったという制約から、委員会は3900ヘクタールであれば、「安全性に対する余裕はないものの許容される」という結論を導き出したのである。それでもこの中間報告書は、どうしても防災に役立つ干拓として実施したい農水省の気に入らなかったからであろうか、その直後に同委員会は解散している。なおこの中間報告書は97年に山下弘文氏が発見・公表するまで、長年隠し通されていた。
 しかし他方では、佐賀・福岡・熊本の3県漁連は、長崎大干拓や南総の1万ヘクタール閉め切り案はもとより、この3900ヘクタール閉め切り案でも有明海に影響が出るのではないかと懸念し、金子大臣同様に3000ヘクタール案を主張していた。このため九州農政局は3県漁連に対し「防災上ぎりぎりの線」として3680ヘクタール案を再提示するが、それでも折り合いがつかず、結局三池・稲富両代議士に調停を依頼。その結果、現在の3550ヘクタール案で決定するという経緯をたどったわけである。したがって3550ヘクタールでの閉め切りは、政治的妥協の産物でしかなく、防災技術上は最初から無理のある計画だったことになる。すなわち閉め切り面積が狭ければ、それだけ調整池容量も限られてくるので、降雨の際に調整池水位を背後地標高より低く維持することは困難になるのである。ところが防災効果がないと分かっていても、農水省は防災を錦の御旗に掲げて計画の実現に突き進んでいったのだ。まさしく無理が通れば道理が引っ込む事態が待ち受けていたわけである。

3.「諫早市民の生命財産を守るために」と言う行政の嘘宣伝

 諫干計画が実現すれば、潮受け堤防内に漁業権をもつ8漁協953人もの漁業者(ちなみに現在の新干拓地での営農者は41法人・個人)は漁場を全て失うことになる。実際、彼らは補償金を受け取って廃業した。また環境影響評価では「影響は計画地(つまり潮受け堤防)の近傍(漁業補償内容からすると潮受堤防から10mと見られる)に限られる」とされたものの、これとは別に漁業補償額算定のために策定された「諫早湾干拓事業計画に伴う漁業影響調査報告書」(昭和61年3月、九州農政局諫早湾地域調査事務所)では、「直接的な影響は、ほぼ諫早湾内に止まるものと予測される。」として、明確に諫早湾全体への影響を認めていたのである。漁場が全て消滅するために漁業権を完全放棄することとなる堤内8漁協とは異なり、堤外4漁協(現在は国見漁協と土黒漁協の合併により3漁協)は漁業を続ける予定だったから、その影響に対する関心はとりわけ高く、小長井や瑞穂漁協が最後まで補償協定への調印に抵抗を示したが、結局の所は九州農政局や長崎県から「諫干による漁獲減は2割にとどまる。その影響分は補償するし、今後とも漁家経営は継続可能なのだから、諫早市民の生命財産を守るために諫干事業を認めてほしい」と繰り返し説得された。ここで「諫早市民の生命財産を守る」とは、諫早市街地で1957年に発生し死者数百人を出した諫早大水害を繰り返さないための事業なのだという意味であるが、漁業者たちは「自分たちが諫干を認めないと、また諫早市民が洪水被害で大変なことになる」と信じ込まされ、泣く泣く漁業補償協定に調印せざるを得なかったのである。しかし農政局や県による、「諫早大水害を繰り返さないための諫干」という説明は、真っ赤な嘘と言って過言でない。嘘の話で漁民に諫干事業を認めさせたのだから、行政による犯罪行為と言えよう。
 1957年の諫早大水害とは、眼鏡橋に上流からの流木などが引っかかって水の流路を狭め、洪水が堤防を越えて市街地に溢れ出たために起こった大惨事だった。この災害を受けて建設省は、河川の拡幅・掘削や堤防嵩上げなどの整備を進めてきている。ところが諫干を推進しようとする農政局・長崎県や一部の住民団体は、「諫早大水害は、豪雨が満潮と重なったから起こったのであり、諫干で河口水位を下げておけば災害は防げる」という理屈で、漁民はじめ市民に大宣伝を始めたのである。しかも更に悪質なことには、3550ヘクタール閉め切り案では、潮受け堤防に邪魔されて河口水位が大潮満潮の2.5mよりももっと高くなってしまうので、「洪水防止のために河口水位を下げる」という理屈や大義名分と矛盾することになる。このために行政は、「諫早洪水と大潮満潮の同時襲来」ではなく無理矢理に「諫早大水害と4.9mの高潮の同時襲来」という非現実的なケースとの対比で諫干の「防災効果」を宣伝してみせるしかなくなってしまったわけである。これでは事実上は洪水防止ではなく高潮防止効果を宣伝しているのと同じであり、実に手の込んだトリックである。たとえ高潮との同時襲来では効果があったとしても、もっと日常的にやってくる大潮満潮との同時襲来時に逆効果では、諫早大水害への「防災効果」どころか、「増災効果」と言わねばならなくなるだろう。しかし実際には、次に示すように、諫早洪水と同時襲来するのが、高潮であれ大潮満潮であれ、河口水位は河川洪水とは無関係なので、洪水にとっての諫干の防災効果はプラスでもマイナスでもなくゼロということになる。なお諫干が市街地の防災に役立たないことは、元諫干工事事務所長が裁判で証言し、長崎県当局も県議会で答弁しているのに、表での宣伝は逆のことを言い張り続けているのが実態だ。なお農水省も、洪水防止効果がないことは間接的に認めるもののは未だに言を左右して明言まではしていない。

4.諌早大水害を防止できない諫干防災システム
 

 河口水位を下げておけば、洪水を防げるという嘘宣伝が市民にも一定の納得が得られたのは、通常時は潮が河口から5キロも離れた市街地まで上がってきていたのを見ていたからと考えられる。しかし実は、洪水時には潮は河川を上がってくることはないという水理学の知見からすれば、市民は行政の意図的な嘘宣伝に騙されたということになる。
 下のアニメーションは、在野の研究家・布袋厚氏制作のものである。これは洪水時と非洪水時の本明川の流れの様子を示している。非洪水時には市民が目撃したように諫早湾の潮位の変化が、直接市街地に及ぶのであるが、それに対して洪水時には、大量の雨水が殺到して河道の抵抗が生じ、そのために流れに傾斜が生じて潮位変化を打ち消すこととなる。河口水位が低いほど、河口近くの流れが浅く、狭くなるため、流れが一点に集中して抵抗が大きくなるのである。こうして洪水時の潮位の影響は河口からさかのぼるにつれ次第に小さくなり、本明川の場合は河口から約2キロで消滅することになる。つまり河口で潮位の影響により変動する水位は、川をさかのぼるにつれて、一定の水位に近づき(これを収斂=「しゅうれん」又は収束という)2km地点で潮位と無関係になるので、潮位の高低が市街地に及ぶことはありえない。しかも収斂する地点は、洪水が激しくなるほど河口寄りに移動し、また河道が狭いほど河口寄りになる。つまり市街地よりも下流で収斂が起こるため、諫早湾を閉め切って河口水位をどんなに下げてみても、本明川の氾濫を防止することは不可能なのである。また洪水防止にとっては、調整池の容積をいくら広げても無関係だから、たとえ6000ヘクタールを閉め切っていたとしても、それは背後地湛水対策には効果が高まっても、諫早大水害の対策にはなりえないのである。なお河口水位が高ければ、確かに河口周辺の湛水は起こりやすくなるが、それは洪水とは別問題であり、背後地等の湛水問題(次項)として対策を立てれば済むことである。





5.閉め切り後に増加した背後地湛水被害

 農水省自身が2001年にノリ不作等対策検討調査委員会(ノリ第三者委)に提出した資料によれば、閉め切り以降、調整池水位がマイナス0.5mを超えるような降雨があると、背後地では湛水被害が発生してしまう。それもそのはず、背後地の基準田面はマイナス0.6mであり、最低標高はマイナス0.8mなのだから、水位が田畑標高を上回って調整池への自然排水が不可能になるからである。時間雨量16ミリや19ミリといったちょっとした雨で湛水被害が出てしまうのは、前述の「諫早湾防災対策検討委員会」が検討したように、閉め切り面積が6000ヘクタールを大きく下回る3550ヘクタールだったからに他ならない。それでも農水省や長崎県は、「諫干の防災効果が発揮されている」と主張してはばからない。調整池水位がたいして上昇しない小雨であれば、干満に関係なく自然排水されるようにはなっただろうから、そうしたプラスの一面はあろう。しかし潮受け堤防がなければ、調整池のマイナス1m管理に頼らなくても、大潮干潮時にはマイナス2.8mにまで外潮位は下がっていたのに、その最低水位が諫干で上げられてしまったというデメリットの方が遙かに大きいのだ。それはデータで示されている。
 国会の超党派の議員からなる公共事業をチェックする議員の会の求めに応じて農水省が提出した過去の湛水被害データ(右表。雨量は筆者が挿入)によると、閉め切り前の15年間で7回あった湛水被害が、閉め切り後から2007年までの11年間では実に17回と、ざっと3倍にも増えてしまったのだ。その後2009年6月30日から4日間、2010年5月24日にも湛水被害が発生したが、それでも長崎県は根拠もなくスローガン的に「防災効果が発揮されている」と強弁し続けている。ところで諌早大水害級の豪雨が襲ってきた場合の背後地の湛水被害は、むしろ潮受堤防の設置によって(築堤後の現在は外海が2.5mの時、背後地は3.7m以上で浸水するとシミュレートされている)、排水条件が悪化した可能性も否定できない。もし農水省が「豪雨時でも排水条件は改善された」と言うのであれば、大潮満潮と諌早大水害級降雨が重なったというケースにおける潮受堤防の有無でのシミュレーション比較を示すべきである。もし小雨時の背後地の農作物を守ることと引き替えに、豪雨時の人命の安全を一層危険に陥れたのだとすれば、この点でも犯罪的事業と言うほかない。ちなみに農水省や長崎県は、82年と99年の大雨時の農作物被害の比較で「洪水被害」(正確には洪水時の湛水被害と言うべき)が軽減されたと主張するが、その17年の間には合計42立方メートル/毎秒ものポンプ場の新設があった事実、集中豪雨の中心が諫早市内であり背後地ではなかった事実を無視した無意味な比較である。
 なお背に腹は代えられないとばかりに、湛水被害が続く諫早市森山地区(旧森山町)では排水機場の建設や水路整備など、本来あるべき防災対策を要望し、2009年7月に長崎県を通して国に補助申請中である。本当に諫干に防災効果があるなら、そうした要望や予算化は不要のはずだが、これは防災効果がなかった証左である。
 なお旧森山町や旧吾妻町・愛野町とは異なり、旧諫早市に属する小野地区などの背後地では、閉め切り以降の湛水被害の続発に懲りて、急遽、排水機場の新増設や水路の整備(拡幅やガタ土の除去などによるボトルネックの解消)を行ってきたため、現在はほとんど水害が生じていない。本明川河口にも大容量を誇る天狗鼻排水機場が2002年に完成し、河川洪水時に生ずる河口周辺の湛水問題に対してもその防除対策が既にとられている。

6.高くついた高潮被害防止効果

 市街地洪水にも背後地湛水にも効果がない諫干の防災効果とは、つまるところは高潮被害防止効果だけである。過去に諫早湾を襲ってきた高潮は3.2m内外だったが、3.5〜5mの旧堤防を嵩上げ改修しておけば十分に防げていたのだ。この既存堤防は、諫干計画があったために長年にわたり補修もされずに放置され、今では老朽化が甚だしい。諫干がなければ、現行の海岸保全施設設置基準に合わせて嵩上げが必要とはなるが、それでも360億円程度でまかなえたと推算されており、水門込みで1500億円もかかった潮受け堤防を海の中に新設するよりはずっと安い工費で高潮を防げていたのだ。干拓技官の失業対策で始まった事業であるが、完工してみれば総額2533億円と実に高価についてしまったものである。なお水門開放中に高潮警報や注意報が出た場合は、事前に調整池水位を管理水位に戻しておいた上で、一時的にゲートを閉じれば(ゲートから調整池内に浸入する高潮は大きく減衰するのではあるが、安全上閉じるに越したことはない)高潮被害防止効果への影響は皆無である。



                                       次のページへ  ホームへ  
         
制作責任:羽生洋三(有明海漁民・市民ネットワーク事務局)
ご質問・ご要望などは bye01354※nifty.ne.jp へ。※の箇所は@に換えてください(迷惑メール対策)
Copyright (C) 2009 Ariake Sea Network of Fishermen and Citizens. All Rights Reserved.