田内川の水準測量1997-2001
諫早湾の目次
測量年月日 1997年5月6日・1998年5月26日・1999年5月2日・2000年5月4日・2001年5月26日
グラフで1997年の線が他の年と著しく異なるのは測点の取り方が少なく,起伏が十分に捉えられていないためです.
写真中心下部に広がっている光った部分は,船を置くために掘られたくぼ地で,砂泥に礫がまじっています.グラフでは水平距離25mから140mにかけての一段低い部分にあたります.そこでは干潟面の上昇傾向があり,1997年から2001年にかけて数cmから10cm程度の上昇がみられます.また,くぼ地内の干潟が硬くなって,めり込みが少なくなってきました.一方,水平距離0mから25mの間と,140mから200mの間(いずれも砂礫質)では,干潟面の低下が見られます.
これらの事実から,水平距離0mから25mの間と,140mから200mの間にある砂礫が,波の作用を受け,くぼ地に移動して中を埋めていると考えられます.なお,1998年写真○印は140m地点付近です.
水平距離200mから230mの間は砂礫質で,干潟面が上下変動を繰り返しています.このあたりはアナジャコ漁などで干潟を掘ることが多いので,その影響もあるでしょう.
水平距離230mから沖の部分(写真では×印右方の光った部分)は砂泥質の干潟で,1997年から1998年にかけて一度低下したあと,2000年までの2年間は上昇,その後2001年までの1年間は2000年に測量できた241mまでの範囲に関する限り,ほとんど変化がありません.これらは砂礫部分と砂泥部分の境界の位置と標高(下表)でも裏付けられます.それより沖,315mまでの範囲では1999年から2001年の2年間で,4-12cmの上昇となっています.泥の層が薄く,250mより沖は普通の長靴で干潟を歩くことができます.
写真では×印付近(画面の右下に拡大して示す.↓部分に注目するとわかりやすい)で,1998年以降,杭が泥に埋まっていく=干潟面が上昇する様子がわかります.ここでは2000年から2001年にかけても,干潟面の上昇が続いているように見えます.局所的に上昇しているのか,杭が腐って短くなっているのか,両方あるのか,3通り考えられます.
砂礫部分と砂泥部分の境界の位置および標高
測量年 | 距離 m | 標高(T.P.) m |
1997 | 217 | -1.51 |
1998 | 239 | -1.92 |
1999 | 233 | -1.87 |
2000 | 229 | -1.77 |
2001 | 229 | -1.76 |
測量にあたっては国土地理院の水準点と測量成果を使用し(承認番号 平8九公第466号),調査地点の近くに複数の基準点を設定しました.
丸尾
長里
水ノ浦
湯江
古部
大正
見出しの地図
諫早湾の目次
このページを含む<諫早湾と防災>閉鎖保存版は有明海漁民・市民ネットワーク事務局が著作者から全面的な管理を委ねられ、独自に複製・配布・公開しています。著作者は諫早湾の問題からは手を引いており、質問等は受け付けていません。
長崎自然史仮想博物館 制作・著作 布袋 厚 2001年