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諫早湾の目次
1999年7月23日の集中豪雨
長崎県農林部などは,1999年7月23日集中豪雨で諫早湾干拓による防災効果があったかどうかについて,「23日夕方の満潮のときに調整池の水位を海面より低く保ったので,本明川の水位が速やかに低下し,下流付近の低平地の排水が速くなり,湛水を軽減できた」という考え方を取っています.
当日の水位を見ると下の図に示すとおり,洪水ピーク後の23日14時から22時にかけて調整池の水位は潮位より低く,その差は最大1.3mになります.これだけでは農林部などの説明はもっともらしく聞こえます.
(埋津・不知火のデータは速報値を使用.両地点は24日12時に欠測しているので,前後の値をつなぎました.)
長崎県農林部は「もし諫早湾を締め切っていなかったら」という仮定で,下の図の左側のような推定をおこなっています.「正確なことは計算してみないとわからないので,あくまでもイメージだ」と断りながらも,建設省不知火水位観測所(本明川河口から約800mの距離にある)の水位データに,潮位と調整池水位の差を加算して,左図の赤い線で示すように水位が上昇し,「低平地の排水が妨げられたであろう」と説明しています.
ところが過去のいくつかの大雨で実際に観測された水位・潮位を比較してみる(実例のグラフを見る→黄色線が不知火水位,青破線が潮位です.不知火水位0.5m以上の部分で両者の関係を見てください.洪水の変化は黒線を見るとわかります.)と,満潮前後には不知火の水位と大浦の潮位はほとんど同じです(とくに1992年8月15日のピーク時が典型的).そして,干潮時の不知火水位が0.5m以上の場合,潮位変化に対応する曲線と洪水固有の曲線との境目はかなり明瞭です.洪水と潮位はほとんど加算されず,両者のうちの高いほうの水位が不知火の水位になるわけです.
つまり,締め切っていなかった場合に水位は下図右側のようになると考える方が現実に合っています.
Q&A(質問番号Q2とQ3)をご参照ください.
諫早湾を締め切っていなかった場合の不知火の水位を,過去の観測例に照らして推定すると17時から20時ごろにかけて,潮位の影響で不知火の水位が高くなることがわかりました.では締め切りのおかげで排水が速くなったといえるでしょうか.
不知火観測所付近では農地に溜まる水を梅崎樋門(観測所の下流側)と松崎樋門(観測所の上流側)という2つの樋門(ひもん)から本明川に排出しています.不知火観測所あたり(下図参照.余談ですが,河口からの距離1200m以上の所で高まりがあるのは盛り土したところです.実際にはその背後に低地が続いています)の地盤高は標高0.6mないし0.7m程度です.
ここでもう一度いちばん上の図を見ると23日の18時前後に不知火の水位(緑線)が地盤高(水色線)を数10cm上回っています.この時間帯は梅崎・松崎両排水機場により強制排水が終わりにさしかかったころで,湛水(浸水)はほぼ終息しています(1時間雨量と浸水範囲の時間変化19時30分の図参照).
つまり,本明川の水位が地盤高より低くなり,梅崎・松崎両樋門から排水可能になった時刻には,すでにポンプにより排水し終わっていた(図の↑U,↑M)わけです.ですから,これら両樋門の水系に関する限り,諫早湾締め切りによる浸水解消効果はほとんどなかったという結論になります.
このページを含む<諫早湾と防災>閉鎖保存版は有明海漁民・市民ネットワーク事務局が著作者から全面的な管理を委ねられ、独自に複製・配布・公開しています。著作者は諫早湾の問題からは手を引いており、質問等は受け付けていません。
http://www.fsinet.or.jp/~hoteia 制作・著作 布袋 厚 1999年