2000/06/30改訂
地図の中の青で書かれた下線付きの地名,または地図の下の見出しをクリックすると写真と説明が表示されます.
公園堰付近の浸食防止対策
新橋付近旧堤防の痕跡
光江橋(みつえばし)付近の河床掘削
旭町第2陸閘付近の堤防かさ上げ・強化
河口から2.4km付近の河床掘削
半造川合流点付近の河床掘削
半造川埋津橋付近の河床掘削
移動ポンプ車の格納庫と仲沖救急排水機場
これらの説明と掘り下げ区間の概略図は建設省が現地に設置した説明板をもとに作成しました.ここで紹介する以外にも,護岸強化や漏水対策など,広範囲に工事が行われています.
1949年 | 長崎県による改修始まる. |
1957年7月25日 | 「諫早水害」 |
1958年7月 | 建設省による直轄事業としての改修始まる. |
1968年4月 | 一級河川に指定 |
1969年3月 | 80年確率(「諫早水害」の流量のおよそ4分の3)による改修計画決まる. |
1991年3月 | 100年確率(「諫早水害」の流量にほぼ匹敵)による改修計画決まる. |
1999-2000年 | 1999年7月23日の洪水に関連し(一部はその前から),河川計画の途上として,直轄管理区間のほぼ全域で河床掘削など大掛かりな工事が行われる. |
これらをもとに本明川・半造川・福田川をいくつかの区間に分けて,流すべき流量(計画高水流量)を決めてあります.上の図で,半造川の 450m3/s が本流の 1030m3/s と合流すると 450+1030=1480(m3/s) になるはずのところが 1430m3/s となっており,合流前よりも少ないのがわかります.実際の洪水では本流のピークと半造川のピークの時刻がずれ(1999年7月23日の実例,画面を上下に動かして,左側の2つのグラフを比較してください.裏山は本流,埋津は半造川にあります),合流後のピーク流量は合流前のそれぞれのピーク流量の和よりも小さくなるためです.
計画高水流量に基き,河道の位置や勾配,断面形,計画高水位や堤防高などを決めます.これらは相互に関連しているので計算を繰り返して具体化が進められます.
図は本明川本流の縦断計画を示します.左端が河口で,横軸は河口からの距離(距離標の説明),縦軸は標高です.5.1kmのところにある段差は公園堰(下写真)という堰で,諫早湾締め切り前には,ここまで潮が上っていました(この事実と諫早市街地の洪水とは何の関係もありません.アニメーション参照).
緑色の線は計画河床高で,公園堰より下流では現在の河床を少し掘り下げることになります.青線は計画高水位(high water level,略してH.W.L.)です.この水位に耐えられるように堤防を設計します.計画堤防高は原則として計画高水位よりも1m高く設定されています.この1mは余裕高と呼ばれ,計算誤差・河道への土砂の流入・水面の波動など見積もりが難しいことを考慮し,堤防を高くするものです.余裕高は計画高水流量により異なります(河川管理施設等構造令に規定).
河口から2.2km付近までは計画堤防高の線が水平・階段状になっています.これは高潮に備えるためです.河口のほうを高くして,波を防ぎます.これだけの高さがあれば1985年8月31日の高潮(本明川河口付近にある不知火観測所の最高潮位T.P.+4m以上)にも十分対応できます.
パラペット堤川と道路の間に見えるのがパラペットです.市街地では用地面積を効率良く利用することと,万一の越流に備えるため,堤防を舗装し,コンクリート壁(パラペット)を設けてあります.道路面が計画高水位に相当します.写真は仲沖町付近 | |
土堤市街地以外では用地取得が比較的容易なので,工費節減のため,土堤となっています.写真は仲沖町付近 |
なかでも半造川は幅が狭く,かなり危険な状態なので,川幅を広げるために堤防を付け替える工事(引き堤という)が行なわれています.中央よりも右側の砂利道がこれまでの堤防で,その右が高水敷(洪水時に水が流れるところ)です.中央よりも左側で土がむき出しになっているところが新しい堤防を作っている途中の段階です(1997年12月撮影).
このページは諫早市発行『諫早水害誌』(1963年発行),建設省長崎工事事務所作成の『安全、安心、うるおいのある「本明川」川づくりをめざして』(1990年作成),『本明川管内図』(1994年印刷),『本明川縦断面図』(1996年測量)を参考に作成しました.
このページを含む<諫早湾と防災>閉鎖保存版は有明海漁民・市民ネットワーク事務局が著作者から全面的な管理を委ねられ、独自に複製・配布・公開しています。著作者は諫早湾の問題からは手を引いており、質問等は受け付けていません。
http://www.fsinet.or.jp/~hoteia 制作・著作 布袋 厚 2000年