諌早湾干拓の今
事業の概要と歴史 総合年表
防災効果 <諌早湾と防災> 閉鎖保存版
環境への影響
調整池

      諫早湾


      有明海
水門開放問題短期開門調査
リンクと参考文献

<重要資料>

国営諫早湾土地改良事業変更計画書(平成11年) 17mb

潮受堤防年度別施行実績

採砂工事の概要

採砂計画説明資料

採砂問題国会質疑(2001年5月17日衆院農水委)

長崎県諫早湾干拓室発行のQ&A

事業の概要と
歴史

 
 農水省と長崎県が推し進めていた長崎県南部総合開発事業が漁業者の反対の声に押されて中止され、現在の諌早湾干拓事業が事実上のスタートを切ったのは1982年。諌早湾防災対策検討委員会での検討後、正式に農水省が直轄する国営干拓事業として事業採択されたのは1986年。環境アセスメントや公有水面埋め立て免許の取得後、工事が着工されたのは1989年でした。間もなくして諌早湾内のタイラギが捕れなくなり、再び湾内漁業者の反対運動が起きますが、「漁場環境調査委員会」の立ち上げと引き替えに工事は継続。
 その後、反対派が「ギロチン」にたとえた湾の閉め切り工が断行されたのが1997年。直後から「干潟の生き物を救うために水門を開放して潮を入れよ」という国民世論が沸騰し、マスコミが連日報道し、野党党首も相次いで現地視察に訪れるなど、大きな社会問題となりました。しかし工事は続行され、下記年表のような経緯を辿って現在事業は完成に至っていますが、今でも「水門開放」問題が大きな社会的課題として残されています。
 この経過の中で、農水省は事業計画を何度か変更しています。一度目の大きな変更は、それまでの計画になかった北部排水門を、当時の建設省の要求に従って設置することとしたことで、このために1991年に環境アセスをやり直しています。二度目の大きな変更は事業再評価第三者委員会の「より環境に配慮を」との答申を受けた形をとって、約1600ヘクタールから800ヘクタールへと干拓地面積を半減させ、その分調整池面積を広げたことです。また当初は1350億円の事業費で2000年度完成という計画でしたが、結果的には2533億円の事業費で2008年度に完成しました。
 下図は事業計画変更後に公表された現在の事業概要図です。事業者側の主張は九州農政局のホームページにある諌早湾干拓事業のコーナーにまとめられています。


 

九州農政局発行「諌早湾干拓事業の概要」(2002年変更計画版)
 ・概要図  ・優良農地の造成  ・防災機能の強化 ・全体計画概要  ・工事主要計画  ・営農計画


【注】1997年の衝撃的な映像で有名になったギロチン工区(1.2キロ)は、現在の南部排水門の北側にあり、すでに石や土で覆われて潮受け堤防の一部と化していますから、「ギロチンを開ける」ことは出来ません。南北排水門は、このギロチン工区とは別に設置されていた施設で、現在も排水専用に「開門」されていますが、漁業者が求める水門の開放とは、この排水門から調整池に海水を導入することを意味しています。
また営農のために造成された中央干拓地は、埋め立てではなく干拓で造成された土地です。つまり調整池水位を下げて、かつての干潟の一部を干陸化させたものです。排水門から海水が入ってきても干拓地は内部堤防で囲われているので、農地が海水に浸る心配はありません。なお北部にある小江干拓地は、実際には「干拓地」ではなく埋め立て地です。潮受け堤防の地盤補強工事のために掘り返された海底土砂が、埋め立て材料に使われました。



事業略史  総合年表はこちらから

1952年 諌早湾を閉め切る長崎大干拓構想を西岡長崎県知事が発表。
1970年 減反政策が始まり長崎干拓事業は中止され、上水道を含む水資源確保、畑作などを目的に長崎南部地域総合開発事業(南総)として再出発。
1982年 金子岩三・農水大臣が、南総を打ち切り、防災対策を主目的にした干拓事業として推進することを決定。(時の構造改善局長から「農水省が抱える800人の干拓技官に仕事を与えてほしい」と要望を受けての干拓続行だったと言われる。)
1983年 諌早湾防災対策検討委員会が、閉め切り規模は防災上「許容しうる案」として3900haとする中間報告書をまとめる(同委員会はこれで解散)
1985年 三池・稲富代議士、閉め切り規模を3550haに縮小する調停案提示。佐賀・福岡・熊本の3県漁連と農水省は共に受諾。
1986年 7月、九州農政局、「諌早湾干拓事業計画に係る環境影響評価書」(環境アセスメント)を9ヶ月間で取りまとめ。
12月、農水省が諌早湾干拓事業(総事業費1350億円、完成予定2000年度)の公有水面埋立願書を長崎県知事に出願、受理される。
1989年 7月、潮受け堤防試験堤の工事に着工。11月、起工式。
1992年 潮受け堤防工事本格化。諌早湾内のタイラギ、大量死滅。
1997年 4月14日、潮受け堤防の最後に残された区間約1.2kmを293枚の鉄板をドミノ式に落下させて閉め切る。その映像が全国に衝撃を与え、「ギロチン」と呼ばれる。
1999年 3月、ギロチン区間を含む潮受け堤防完成。
7月、諌早地方に集中豪雨。床上浸水234棟、床下浸水427棟。閉め切り以降、事業の防災効果に3度目の疑問の声。
2000年 12月、有明海でノリの色落ちが始まる(空前の大凶作となる)。
2001年 市民版時のアセス」で費用対効果は法定要件の1.0を大きく割り込む0.3未満と試算。
  8月、事業再評価第三者委員会が「「土地改良法改正の趣旨を踏まえ、環境への真摯かつ一層の配慮を条件に事業を見直されたい。社会経済の変動が激しい今日、諸般の事情を含めて事業遂行に時間がかかりすぎるのは好ましくない。叡知を尽くして取り組むことが肝要である。」と答申。
  10月、農水省が変更事業計画案(2006年度完成、農地造成面積半減)を発表(正式決定は2002年)するも、有明海への環境配慮のための見直し案とはならず。
有明海ノリ不作等対策関係調査検討委員会(ノリ第三者委)が短・中・長期の開門調査を提言
2002年 3月、農水省が費用対効果は0.83で400億円の赤字事業と発表(その後、総事業費増額により0.81)。
東京で4月15日の深夜、長崎県知事と3県漁連会長が武部農水相の仲介で会談。古賀誠・久間章生代議士も同席。2006年度干拓事業完成と短期開門調査の実施を了承する政治決着。
4月24日から5月20日まで短期開門調査。
11月、「有明海及び八代海を再生するための特別措置に関する法律」(有明海特措法)が国会で成立、諫干事業の停止を盛り込んだ民主党案は否決。
11月、漁民・市民約400人が工事差し止めを求めて佐賀地裁に提訴、また漁民は工事差し止めの仮処分も申請(よみがえれ!有明海訴訟)。
2003年 3月、農水省がノリ第三者委を解散し、全員が官僚OBから成る中・長期開門調査検討会議委員名簿)を設置。
4月、有明海漁民が公害等調整委員会に原因裁定を申請。
  11月、農水省独自の「開門総合調査」で「影響はほぼ湾内にとどまる」との結論。
12月、中・長期開門調査検討会議が開門調査に賛否両論を併記しながらも全体として否定的な報告書をまとめる。
2004年 3月、漁民と市民ら約500人が農水省本省を「人間の鎖」で包囲し、中・長期開門調査を求める。
5月、亀井農水相が中・長期開門調査の見送りを表明。
5月、3県漁連が福岡県柳川市で中・長期開門調査を求める総決起集会を開き、1500人が参加。
8月、佐賀地裁が「よみがえれ!有明海訴訟」の仮処分で諌早湾干拓と有明海の漁業被害に一定の因果関係を認め工事の差し止めを命じる(判決要旨)。農水省は工事中断。
2005年 5月、福岡高裁が諌早湾干拓と有明海の漁業被害の因果関係を一応認めながらも、立証データが不十分として、佐賀地裁が出した干拓工事差し止めの仮処分を取り消す。農水省、約9カ月ぶりに工事再開。
8月、公調委が専門委員報告書に反し、事業実施前のデータ不足などを理由に漁業者側申請を棄却
2006年 市民版時のアセス2006」で費用対効果は0.19と試算。
8月、干拓農地の取得に県の公金を支出するのは違法として、長崎県民76人が長崎地裁に提訴。
  12月、有明海特措法に基づき環境省に設置された「有明海・八代海総合調査評価委員会報告書。 諫干は数ある異変要因の一つとして認める。
2007年 九州農政局と長崎県が「干拓地公募基準」を公表。
11月、完工式。総事業費は当初予定からほぼ倍増し2533億円。4県漁業者が「有明海SOS!」の横断幕を広げて50隻の漁船で海上デモ。
  12月、九州農政局に設置された「諫早湾干拓調整池等水質委員会」が検討結果のとりまとめを公表。調整池水質改善の失敗原因を究明できず。
2008年 1月、公金支出差し止め住民訴訟において,長崎地裁が住民側の訴えを棄却。
  4月、営農開始。
6月、佐賀地裁が「よみがえれ!有明訴訟」本訴において、国に開門を命ずる判決(判決要旨)。
7月、若林農相が「控訴はするも、開門調査のための環境アセスも行う」との談話を発表。
  9月、農水省が「潮受堤防の排水門の開門調査に係る環境影響評価の指針(要領)」を発表
2009年 4月、九州農政局が熊本市で開催した説明会において、開門アセス方法書骨子(素案)(ファイルのダウンロード5.6mb)を公表。これに対抗して弁護団と漁民ネットが対案を発表。
2010年 2月、赤松農相が開門の是非を検討する政府・与党検討会議の設置を表明。
3月、九州農政局が開門調査アセスの方法書を決定したと発表(決定された方法書)。
  4月、郡司副大臣を座長とする検討委員会が「開門が至当」とする答申。
  12月、福岡高裁が08年6月の佐賀地裁判決を支持し、3年の猶予後5年間にわたる常時開門を命じる。菅内閣は上告見送りを決定し、遅くとも2013年12月までの常時開門実施が確定。
2011年 6月、農水省が開門アセス準備書素案を発表。 
6月、小長井大浦訴訟で長崎地裁は開門を認めず、大浦の損害賠償のみを認める判決(判決要旨)。



有明海周辺地名地図

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検証「諌早湾干拓事業」

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