山間部の山崩れ・土石流
→流木の大量発生・本野小学校(木造校舎)の流失
→裏山橋のせき止め・氾濫
→右岸側の家屋の流失
→流木の大量発生
→四面橋のせき止め・氾濫
→左岸側の家屋の流失
→流木の大量発生
→眼鏡橋のせき止め・氾濫
→両岸の家屋の流失
諫早湾の満潮は災害と無関係
建設省の数値シミュレーションで証明済み
「満潮と洪水が重なって被害が大きくなった」というのは単純な思い込み
洪水時に満潮の影響を受けるのは河口から2km以内(半造川合流点から下流)
あらためて二通りの方法で水理学計算しても同じ結果
不等流計算・せき上げ背水
河口から2キロ以内での水死はない
森山などの死亡災害は住宅背後の山崩れが原因
不知火観測所(不知火橋付近)の満潮時の水位
1987年7月 1990年6-7月 1992年8月
洪水時でも大浦検潮所(長崎・佐賀県境付近)の潮位と同じ
→平常時の満潮も洪水時の満潮も同じ
埋津観測所(諫早農業高校付近)の水位・流量観測データ
満潮の影響を受けるのは平常時だけ
1993年 1995年
注意報相当の水位まで増水すると満潮の影響がなくなる
建設省シミュレーションの結果は50年前の『諫早水害誌』に明記
→長崎県や諫早市は諫早湾と無関係であることを知りながら災害を悪用している
空振りはあっても見逃しはない
台風接近の可能性が出たとき調整池の水位を下げて水門を閉じればよい
時間的余裕は十分にある
降水のとき水門を閉める
→排水機能は現在とまったく同じである
干潮時は海面よりも調整池の水面が高い
大雨で調整池が増水し、周囲の地面より高くなる
干潮時に調整池の水位が下がりきれず、周囲の地面より高いまま保たれる
大雨が続くと排水不能の状態が数日にわたって続く
大雨になればなるほど、排水不能の状態が長く続く
→肝心な時ほど機能が低下し、役に立たない
調整池に低平地の排水の役割を持たせるという発想が根本的な誤り
→解決するには排水機場以外にない
排水機場があれば大雨時でも満潮時でも機能が低下することなく排水できる
排水機場があれば調整池の水位に影響されず、いつでも排水できる
小野島流域 毎秒61トン=1日527万トンの排水能力(2009年現在)
データを入手できた1987年以降の大雨については十分に余裕をもって排水可能
→調整池の水位を気にする必要がなくなる=−1.0m以下に保つ必要がなくなる
佐賀県では全体で毎秒1000トンの排水能力(計画中を含む)
諫早湾に換算すると毎秒300トン=現在の能力を3倍化すると佐賀県並みになる
冬型気圧配置や帯状高気圧に覆われた時期は何日も雨が降らない
雨が降らなければ、低平地に流れ込む水はわずか
→流れ込む水が少ないので、干潮時だけで十分に排水できる
→満潮時に調整池の水位が地面より高くなっても、湛水は起こらない
降水の可能性が出てきたときは、予想される降水量におうじて水位を下げればよい
「九州西部のどこかで大雨になるかもしれない」程度なら見逃しはない
大雨が予想される時のシミュレーションで調整池の水位を下げて備える
2010年5月23日の大雨のさい、長崎県が実行した
→やればできることを実際の行動で、図らずも証明してみせた
排水機場を整備した場合を想定して、降水時のシミュレーションをただちに行うべき
地下水は地下水面が高い方から低い方に流れる
堤防裏の水路の水位を農地の地下水面より低く保っておくだけで良い
→地下水位は農地から水路にむかって流れる
=海水は堤防裏の水路より内陸には浸透できない
対策を講じた上でなお被害があれば、国が補償すれば済む話である
畑と海が堤防一つ隔てて接している
この干拓地は造成当初から畑専門=諫早湾の新造成地と同じ
地下からの海水浸透による塩害はいまだかつてない
風による塩害は2006年の台風のときだけ
この時の塩害は内陸20kmまでおよんだ
1999年の豪雨は本明川の北側に集中=諫早湾南岸低平地の降水量は少ない
雨量が多かった白浜では2mを超える浸水
1982年の豪雨は南部低平地の降水量が多い
低平地から離れており、無関係
当日の集中豪雨でもっとも降水量が多い場所−諫早駅から市役所の一帯